母との距離、娘のモヤモヤ
一人娘として向き合う介護と日常
ここ数年、実家を訪ねるのが日課になっています。
父が旅立ってからは、ほぼ毎日。
高齢の母の様子を見に行き、話し相手になります。
週に2日ほどは買い物や通院の付き添いもしています。
もはや一人娘としての義務、そんな日々です。
けれど、毎日 母と接していると、お互いの距離感にモヤモヤすることも多くて
『娘と母』親子の距離感って、本当にむずかしいものですね。

母は、介護する側の経験がありません。
母は実の親も、義理の親も、それぞれ実家の長男家族が担っていたので
介護する立場に立ったことがないのです。
たぶんそれが、介護する側の気持ちがわからない一因なのだと思います。
むしろ「子供に介護されて当然」と思っている節さえあります。
でも、似たような考え方をもつ高齢者は、案外多いのかもしれません。
母の世代はきょうだいも多く、まわりに手を貸してくれる人もいたはず。
そうした時代背景もあるのでしょう。
もちろん、できる限りのことはしているつもりです。
「もう嫌だ、やりたくない」と投げ出す気もありません。
ただ、私にも家庭があり、仕事や日常のやるべきことがあります。
親の介護をしたからといって、それらが免除されるわけではなく、
誰かが代わってくれるわけでもありません。
母にとっては、私に雑事を頼むのは当たり前のこと。
頼まれれば、もちろん手助けします。
けれど時々思ってしまうのです。
「それを当たり前だと思わないで」と。
たとえば、2時間買い物に付き添えば、私のその時間は削られます。
でも、私のタスクは減っていない。
「時間がない」と愚痴をこぼせば、母はこう言います。
「お母さんの方が、全部ひとりでやってるんだから時間がないわよ。」
まるで、頑張っているのは自分の方だとでも言うように。
私はうんざりして、何も言えなくなる。

ひとり暮らしが大変なことはわかっています。
私も人としてまだまだ未熟だと自覚しています。
でもそのうえで、少しだけ、私の気持ちにも目を向けてほしい。
感謝の気持ちは持っているのかもしれませんが、
「ありがとう」と言われたことは…正直ありません(笑)
でも私は、こう思うのです。
「親子なんだからありがとうは言わなくても伝わる」…それは違う、と。
どんなに親しい関係でも、「ありがとう」は言葉にして伝えなければ届きません。
言いにくくても、気恥ずかしくても、苦しくても。
口に出して言ってくれなければ、伝わらないのです。
時間を削っていること、それが当たり前ではないことをわかってほしい。
ただ、「ありがとう」と言ってほしい。
その一言で救われることがある。
でももしそれが難しいなら、せめて私の話を、私の気持ちを、ちゃんと聞いてほしい。
たとえば私が「時間がない」と言ったとき、自分の大変さを返してくるのではなく、
ただ聞いてほしいのです。
それって…わがままなのでしょうか?
きょうだいがいれば、もっと役割を分担できたかもしれない。
きょうだいで共感しあう事ができたなら、今より少し楽だったかもしれない。
そんなふうに思うこともあります。
子育てと親の介護。
どちらも、自分の未熟さを見せつけられるようで、時にとても辛いです。
それでも私は今、人生の中で、たぶんいちばん「母」と向き合う時間を過ごしているのだと思います。
まだまだ修行の途中です。